食事しながら

平成教育委員会を見る。
自室に戻ってからも見ていたが、ふと気になり日本テレビを見る。
丸山弁護士にべったりした感じの時間帯。
円広志が空中で歌っていたりしたのを見てげんなり。
ゴールの瞬間はきちんと見たが、丸山弁護士は偉いとは思うし
仲間のことを考えてと思われる「行列・・・」のメンバーが揃うのもわかる。
ただ、本来の主旨はきちんと考えて番組制作してもらいたいと思うことしきり。


萩本欽一さんが昼間に武道館に来られたところも見たが
欽ちゃんのチャリティ精神についてはLFの通りゃんせ募金などの件も含めて
本当に心の底から湧き上がるものであることは私も知っているが
昨今のバラエティ化したこの番組自体をどう感じられているのだろうか?!
もしかして番組から手を引いてしまったのもそういったことが影響しているのか!?


知らない人のために書くと、通りゃんせ募金というのは
LFニッポン放送が年末に毎年行うチャリティー番組募金のこと。
歩行者用信号に音が出るものをもっと多く取り付けようという主旨のもと
この「通りゃんせ募金」の名のもとに特番がスタート。
そして欽ちゃんは外に出て、盲学校などで多くの生徒と触れ合うわけで・・・。


そんな中、一つの逸話が生まれる。


放送自体はもう終わっているのにもかかわらず
盲学校の生徒は欽ちゃんを慕って離れようとしない。
すると欽ちゃんは、すっと腰を下ろして子供達の目線まで下がり、
自分の顔を子供達に触らせはじめたという。


そう・・・欽ちゃんは自分の声はわかっても顔がわからない子供達に
自分の顔はこんな顔だよとわかってもらうために、触らせていたというわけ。
視覚という感覚が色々な理由で失われているからこそ、触覚など他の感覚で
それを伝えようとしている欽ちゃんの姿を見て、当時の番組のディレクターは
瞼が熱くなり、物陰に向かい声をあげて泣いたという。
当時の欽ちゃんの人気は不動のものと思われるほど凄いものがあり、
それだけ凄い人がここまでするというのは単なる偽善やええかっこCでは
出来ないことであることは誰しもわかると思う。


だから綺麗事な言葉を連ねてナレーションをしている徳光氏には
何か心というものがそこまで強く感じられない。
ましてSMAPの「がんばりましょう」の歌詞の中には
「仕事だから」みたいな歌詞があるわけですよ。
仕事だから看護してくれてるの?!
仕事だから番組出てるの?!
そうじゃないっしょ!!
タイトルだけで曲を選ぶってのは危険だよ。
いくら本人達が出ているからっていっても少し考えようよ。


あと、募金の金額を途中で発表するのもどうかと思う。
煽る姿勢が見え見え。あれって募金の強要に近いものあるよ。


更に言うと、番組制作費用とかを自腹切って、スポンサーから入るはずの
スポンサー料をそのまま募金したらいいんちゃう?!
それだけで十分億単位の金になるんちゃうの?!
子供達が自分達のほしいものを我慢して貯めた1円玉の山よりも、
そのほうがどれだけいいか。


善意の心を育むという意味ではイベントとしては良いのかもしれないが
どうもそういった本来の主旨から「イベント性」「視聴率」「話題性」とか
そういうものが大きくなってしまっているように思うのは私だけか?!


素直に募金が出来るような環境ではないなと私は個人的に感じる。